シオリエクスペリエンスがアツい
『SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん』という漫画がある。僕は大好きなんだけどあんまり知られてない気がする。実際僕も最近読んだ。作者はM-1出場でも話題の長田さん。
これが主人公の本田紫織。サブタイの通り地味な日常を送っていたが、ギターの神様ジミヘンドリクスに憑かれることでそれが一変する。みたいな話。
で、この作品では主人公の変化が周りのキャラクターにとてつもない影響を与えていく。メインキャラのひとりひとりに様々なドラマがあるんだけど、主題は1つ。
それが「本当の自分でありたい」ということ。
基本的にキャラクター達は様々な事情で自分をさらけだせずに苦しんでいる。紫織もそのうちの1人。紫織は自分の問題が解決した後は手助けする側に回る。助けて行くに連れてバンドメンバーを増やす...というのが基本の道筋になっている。
友情努力勝利をジャンプ以上にこなしていくこの漫画、何と言っても絵がヤバい。ページをめくるのが楽しすぎる。それがこんな感じ。
本当に音が聴こえてきそうな躍動感からキメの瞬間を切り取ったカッコよすぎるカットまで全部カッコいい。楽しい。
これでストーリーが悪い!とかだと萎えるけど、ストーリーも絵に負けない魅力が沢山詰まってる。奇をてらったような話はなく、まさに王道の部活漫画。エピソードのひとつひとつに違った味わいがあるんだけど、どれもポジティブだから読後感もめっちゃいい。どのキャラクターにも魅力があるからこそそれが成立するし、キャラクターのことを好きになれる。
どの世代の人が読んでも楽しめる漫画。特に漫画読んでアツくなりたい!って人は出来れば1回読んでほしい作品。超推せる。
『今日から俺は‼︎』ドラマ版に思うこと
今や人気作のドラマ版今日俺。僕は原作を元々読んでいて大好きだったのでめっちゃ嬉しい。
僕自身もドラマ版は結構好きで、初めて2話を観て以来毎週楽しみにしている。
のだが...
どうにも乗り切れない感じというのか、楽しみきれていない感が強い。
笑えるし、アクションも格好いいし、ドラマ自体は好きなのに...。なぜなんだろう。
ので今回は、そこのところをちょっと掘り下げようかと思う。
ビジュアルとストーリー
まず実写化において重要なのはそのビジュアル。これは読んでくださってる皆様にも覚えがあると思う。
ファンタジーやSFなのに原作に寄せようとしたせいでコスプレ感の半端ないビジュアル。逆に原型を留めていないせいで「これ誰?」感の強すぎるビジュアル...。
しかし、今日俺は上手いことビジュアルを成立させていると思う。元々キャラクターが日本人で、突飛な髪色をしている訳でもないのでやりやすいのかもしれない。にしても伊藤の髪型は見事でしかない。むしろ完璧な実写化。
次に、脚本の面白さ。話が面白くなければ勿論見るモチベーションは保たれない。ここにあるのか要因は?
...のだが、そうとも思えない。
笑えるし、熱くなれる。
福田お馴染みのムロツヨシは毎回笑えるし、佐藤二朗は訳も分からない面白さがある。3話での三橋と智司とのケンカにムロと佐藤二朗が介入した時は流石に少しキたが...。
アクションは(僕が見た感じでは)格好良いし、バトルも見応えがある。原作が良いだけあってストーリーが悪くなろう筈もない。
まだ要因が見つからない。
キャラクター
僕についての要因は恐らくここだ。メディアミックス、特に実写化に顕著なのだが原作のキャラクター性を保てないことが多い。
これは恐らく短い尺でやるドラマや映画と、望む限り続けられるマンガとの差だ。要はマンガでは少しずつキャラクターを掘り下げていけるが、ドラマや映画ではその時間がない。だから尖りがちで、分かりやすい人物像が作られる。
伊藤は原作からいろんな意味で尖っているし分かりやすいから違和感がほぼない。理子や今井も同様だ。
問題は三橋だ。三橋は傲慢チキで自分勝手な男だが、意外と本音を言わない。実はセリフだけで判断できるキャラクターではなかったりする。
原作未読の方には少々のネタバレになるが、三橋は酒が入ると本音が漏れたりするのだが、その折には伊藤や今井を認めているといった言動がある。他にも、特に伊藤に対する三橋の想いに関してはもっと多くのエピソードがある。
だからこそそれぞれの持つ三橋像は意外とバラけるんじゃないかと思っている。僕の周りで原作読んでる人あんまいないから分かんないけど。
とにかく、三橋は分かり易いようで、分かりづらいようで...。本質を捉え難い。飄々として掴めないキャラなのだ。
京子とかに関しては原作のキャラを捨てているからこういった違和感はない。でもあれは最早橋本環奈だ。相良の小物感も少し強すぎる気がする。
こう考えると僕の持つ原作キャラクター像と、ドラマのキャラクター像の違和が、乗り切れない要因になっていそうだ。
楽しもうドラマ版
書いてて思ったが、キャラクター性に関してはやはりマンガとドラマで完全に揃えることはどう考えても無理だし、京子の存在自体が揃える意思を否定していた。
となるとやっぱりドラマ版は、西森原作作品としてではなく福田作品の1つとして見るのが合っている気がする。そもそも原作にムロはいないし、佐藤二朗の出番はこんなに多くない。
完全なる別物と迄は言わないが、ビジュアルやストーリーの原案として漫画版を借りている、程度の認識でいれば違和感なく楽しく観れると思う。
意外とおんなじ感じの人は多いかもしれないなぁと思うが、みんなで楽しく今日から俺は‼︎
というわけで、ドラマ版『今日から俺は‼︎』は
日本テレビで毎週日曜22:30、各種動画配信サイトで絶賛放送・配信中。
並びに原作『今日から俺は‼︎』は既刊1〜38巻まで絶賛発売中だ!
...いややっぱビジュアル完成度すごい。
阿部共実『月曜日の友達』感想 ネタバレなし
阿部共実の『月曜日の友達』を今更ながらに読んだ。
なんで今更読んだかっていうと、ある人がめちゃめちゃ「いい」漫画だと言ってたから。
それを聞いて正直、ほんと?って思った。それは僕が『空が灰色だから』を読んで以来、この人の作品に手が伸びなくなっちゃってて、どうしても空灰のイメージが強かったから。
空灰自体はかなり人気があるし、実際面白い作品だとは思うんだけど、読んだ当時は受けつけない何かがあった。
でもたまにある明るい日常のエピソードはとても好きで、この人が本気でそういう方向の作品を描いたら絶対大好きだろうなと夢想したりもした。
まあそんなこんなで、阿部共実のイメージを払拭するべく、又、阿部共実の陽の部分多めの作品ならばと手に取ったのだ。
結論から言うと読んで大正解だった。
見事に僕の中の阿部共実は空の彼方へ飛んで行ってしまった。それほどまでに見事としか言えない物語だった。
僕と同じ感じで、空灰しか読んでない人結構いると思うんだけど、そういう人は是非読んでほしい。
少し作品の話をすると、この作品はこれ以上ない「ガール・ミーツ・ボーイ」の物語だ。
主人公である水谷茜は中学生になり、「みんな」が変わっていくことに戸惑っていた。流行りの話題、朝の集会、恋愛...。自分だけが変わらないことへの不安と焦燥をいやでも自覚する月曜日。それが嫌いだ。そんな彼女はあるきっかけから、いじめられっ子の月野透と毎週月曜日の夜に学校で会うことになる。
粗筋はこんな感じだ。
この作品は中学生という誰もが通る過程の中で、少年少女の感情の機微を本当に丁寧に描き切っていると思う。何気ないようでいても彼ら彼女らの物語は進行していく。
読者は水谷茜の視点から物語を見ることになるから、いつも彼女の感情はダイレクトに読者に伝わる。それが時には心地よく、時には苦しくもある。読んでいくととにかく気持ちが揺さぶられる。
水谷茜のモノローグの多さなどマンガに対して挑戦的な試みや、幾つもの印象的なシーンもこの作品を彩っている。
誰もが経験した筈の中学生を描いた作品だからこそ、受け取り方が人それぞれ違うマンガだと思うし、伝わりすぎる感情は時に棘になって僕らを襲ってくる。
でもこの作品が素晴らしいことは間違いない。
色んな人に読んでほしいマンガだと思う。
あと、amazarashiがこの曲のテーマソング作ってるからそっちも聴いてね。めっちゃいい曲。
アクタージュ 千世子の魅力
百城千世子はアクタージュのキャラクター。
アクタージュはキャラクターが結構多い。役者の話だから劇中作1つにつきそこそこの数が出るからだ。
そんなキャラクター達の中でも、千世子は頭抜けて魅力的だ。ちょっとなんでこんな良いキャラなのか簡単に2つに分けてみた。
①実力
やっぱりこれは外せない。そもそもは敵キャラポジションで出ているからこれがないとバトルが盛り上がらない。
そんで千世子の実力描写が相当丁寧に為されている。一般人からの知名度や反応、取材陣の盛り上がりとかとか。最近だと阿良也と接触した時。阿良也の実力描写(現状は景の進化形)が千世子以上に丁寧だから、すれ違うだけで阿良也に恐怖を与えるっていうインパクトが半端じゃなかった。
だから読者も「千世子ってすごいんだなぁ」という印象を自然に持ってしまう。
天使っていう通称も良い。言うまでもなく千世子は景の対極にいるキャラクターとして登場している。見た目や性格、演技方法も全部真逆。そんな千世子を表現する通称にこれ以上のものが無さそう。綺麗で爽やかでちょっと怖い感じ。景なんてブルドーザー呼ばわりだからね。
②変化して変化させる
当たり前だけどアクタージュの主人公は景である。だから景に何かしらの影響を与えるキャラは印象に残りやすい。
そんで千世子は1番景に影響を与えている。
千世子の演技には景の足りない部分が多々あって、それを景が学んで成長する。
でも千世子も景との干渉の中で成長してしまう。これが良い。
千世子はそもそもは敵キャラポジションだけど、デスアイランド編が進むにつれて好敵手と書いてライバルと読むみたいな関係に変化する。
終盤の、景と爆風を駆け抜けるシーンは本当に見応えのあるバトルだった。このバトルは景の心情の変化を明確に表してたけど、焦点は千世子にあった。あの時だけは主人公は千世子だった。主役を主人公にできるのがアクタージュの凄いところだ。最後のシーンの「ありがとう」は絵もノリノリだったし、心震えるものがある。
感想文を書いたけど、要は登場時の位置に留まり続けず、主人公と共に成長するのも魅力だ。ライバルキャラとして完璧すぎる千世子は成長することでどんどん魅力を増す。
なんか実力の項で出た見た目とか、性格とか、他にも色々掘り下げたいとこあるけど、基本はこの2つが大きいかなと思っている。特に実力描写はアクタージュがとっても得意とするところで、それが千世子のキャラ造形に活かされまくってる。
この前の出演時も、景を利用する強かさを見せたり、気づきをまた与えたり、まだまだ魅力の底は尽きなさそうだ。
トリコ世界の成長
努力(成長)エピソードについて前の記事でだらだら書いたけど、僕が1番上手いと思うのは実はトリコだ。
トリコら登場キャラは美味いもんを食うとパワーアップする。このシンプルなパワーアップ方法に全くと言っていいほど難がない。
何故ならこの方法は、トリコという作品の世界観と直結しているから。
言うまでもなくトリコの世界ではグルメが全てだ。美味いものを買うために人々は働くし、戦う。要は、「食」というものをこれでもかと特別化させているのだ。
食の価値の高さを読者は全編通して語られるから、トリコという世界における「食べること」の重要性を認識している。
つまり、世界観が持つ強大な説得力と成長シーンを連結させているのが、トリコの上手さということだ。
絵柄もあってか、ともすれば雑に見えがちかもしれないトリコだけど、色んな工夫が為されている。特にトリコはそういうの多いと思ってるから、あれこれ考えながら読むのも面白い漫画な気がする。
ラリってるのは普段かもしれない
少し今までの記事を見返すと、何故だか無駄にハイテンションだった。
今までの方がラリってる気がするし、これからは肩の力を抜ききった感じでいこう。
アクタージュ好きな理由とジャンプ読者と努力
もはや思ったことを書き留める場所として使おうと言う決意。アクタージュ4巻発売記念。
なぜ僕がアクタージュをこうも好きか。
1つ前の記事でも言ったか言ってないかもう2ヶ月も前だから忘れたけど、圧倒的にジャンプ漫画してるから。
ジャンプ漫画の定義は「友情努力勝利」。これの濃度で基本は判断。
例えばだけど、ずっとジャンプの顔をやってるワンピース。僕はなんやかんや好きだけど、努力は(描写として)圧倒的に少ない。そもそも能力バトル漫画だから、能力に依存した戦いになるのは必然で、工夫とかもあるけど基本は何食ったかという話になる。多分一番それっぽい描写のあった3D2Yも、各々努力しましたよー、っていう雰囲気は見せてくれたけど実際に努力したシーンをつぶさに描いたわけじゃない。
で、なんでこうなるかと言うと、そもそもジャンプ読者は努力を嫌うから。これは幾らでも言われてることだけど、結局厳然たる答えとしてずっとある。なぜこれが嫌われるかと言うと、結局は努力エピソードはかったるくなるから。ずっと敵と戦い続ける方がそりゃ派手だし進みは早い。
ブリーチのフルブリング編が死ぬほど不評だったのも、結局は力を取り戻す努力エピソードだったから(そもそもあのエピソード自体面白くなかったのもあるとは思うが)。ただナルトなんかは割と努力エピソードを上手く描いてた気がする。これは後述。
ここでもう1つ言えば、努力をするには理由がある。それは基本的に敗北や喪失。3D2Yはそもそもはクマ1人に壊滅させられたから起きたことであり、フルブリングを手に入れようとしたのは巨大すぎる力を手に入れた反動で失った能力に変わる力を取り戻そうとしたため。
で、最大の問題は、ジャンプ読者は敗北すらも嫌うこと。
ハイキューが県大会で負けた時の失速ぶりや、それこそフルブリング編なんかを見れば一目瞭然。基本的にメインキャラは勝ち続けなければならない。
しかし勝たせるために同じ展開が続けばマンネリ化し、これまた人気を失う。ジャンプ読者は誠に勝手だ。変化のためには努力が必要なのに、それも嫌うからキャラが成長する時間がない。
ここで使われるのが、サイヤ人方式。要は戦うほどに強くなる。戦いの中で覚醒させて行くことで、努力シーンを省きキャラの成長を見せるやり方。本当によく出来てるしジャンプにアジャストしてると思う。ドラゴンボールは凄いんだなぁ。
ただこれやると今は「主人公補正」と言われてしまう。「いやその展開無理あるっしょwww」みたいな見方をする人は多い。でも無理がありすぎるのは別だけど、そもそも主人公として選ばれる人物に補正がかからない訳ないのだから、少しは大目に見るのが本当だとは思う。二重否定文というやつだ。合ってるかは知らない。
ただここで素晴らしい努力エピソードの描き方がある。それが「主要キャラが努力をしているのと同じ時間軸で起きている別のエピソードを挿入する」やり方。基本は別エピソードがメインになり、挿入されるのが努力シーンになる。そしてその別エピソードは戦闘や試合である。これならばかったるくならならないし、努力シーンをそこそこ描ける。これはナルトなんかでよく見た気がする。まあナルトだけじゃなく、古今東西いろんな漫画がやってる手法だけど、何だかんだ1番上手いやり方だと思う。
エピソードの濃さは説得力の高さに直結する。努力シーンはそれを得るために必要不可欠だから、実は結構重要なのだ。
だらだらジャンプ読者はもうちょい努力を見てやってという話を書いた。で、これのどこがアクタージュにかかるかというと、最初に言った「友情努力勝利」の濃さになる。
実はアクタージュ、この3つの描き方が抜群に上手いと思う。
デスアイランドで言えば、景と千世子って最初はちょっとした敵対関係みたいになっていた。
でも景は千世子の演技の不気味さの上にその凄味を感じ、そこから新しい演技のメソッドを得ようと努力した。それに呼応するように、サブキャラクター達もそれぞれが奮起していく。景が本気なのを見ると、周りの目も変わり、距離が縮まって友達になった。最後には、千世子も景に動かされ、彼女達は親友とも言える間柄になった。
本当に隙がないと思うのはやはり努力シーン。景の努力の熱はこちらに十二分に伝わる程描いているのにたるまない。これは「小さな勝利」を努力のすぐ後に配置しているから。むしろ小さな勝利が努力の先にあると言うのか。例えば嘔吐する一瞬カメラから外れる時は、それを実際にやった後にその説明が入る。そんなんアリ!?と言ってみても実際成功させてしまった後だから何も言えない。
これはデスノートのあの有名なシーンで使われた方式に似てる。
↑これ
つまりは成功させた後にどんな荒唐無稽な事言っても成功してるもんはしてんだよ!という持っていき方。計画通りの何が凄いって、月が記憶失ってる部分のエピソードを全部このシーンのフリに使ってる事だと思ってる。あんだけの時間を使って見せられたもの全部が、月の掌の上だったと知った時の衝撃は半端じゃない。事実、実際文字に起こして見るとこの計画、相当無理があるように感じる。しかしそれまでのフリが全部説得力に変わり、読者を押し伏せるのだ。これは先述した努力シーンの持つ説得力とおんなじ事だ。
さて、アクタージュの話に戻る。デスアイランドの1番凄いところは、勝利がそのまま友情に繋がるところ。要は「大きな勝利」が千世子との和解になっている構成だ。
千世子がとっても魅力的なキャラクターである分、そのカタルシスは相当なものになる。千世子の魅力は読んで感じて欲しいのでここでは描かない。
アクタージュはジャンプ漫画としては稀有な「友情努力勝利」の描き方が優れている漫画だと思う。読者を飽きさせない工夫があり、どのキャラも魅力がある。
結局ジャンプ漫画が好きな僕は、三大要素の濃いぃ漫画は大好きだ。
アクタージュは最初、題材からしてジャンプ漫画らしくないと言われていたし、僕も思っていた。でもこんなにジャンプらしい漫画は他に無い。作者先生の努力も紙面から伝わってくるのもめっちゃ良い。
この先も続いていって欲しいと願っているし、そうしてジャンプ自体がどんどん面白くなっていけば最高だろう。
深夜の少しラリった時間の記事なので、言いたいことをシンプルに言えず複雑になってしまった。
要は
アクタージュ最高!
次回!五万文字!千世子の魅力!ぜってえ見てくれよな!