疲れた人のセーブポイント

ジャンプ感想などなど

アクタージュ好きな理由とジャンプ読者と努力

 もはや思ったことを書き留める場所として使おうと言う決意。アクタージュ4巻発売記念。

 

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 なぜ僕がアクタージュをこうも好きか。

 1つ前の記事でも言ったか言ってないかもう2ヶ月も前だから忘れたけど、圧倒的にジャンプ漫画してるから。

 ジャンプ漫画の定義は「友情努力勝利」。これの濃度で基本は判断。

 例えばだけど、ずっとジャンプの顔をやってるワンピース。僕はなんやかんや好きだけど、努力は(描写として)圧倒的に少ない。そもそも能力バトル漫画だから、能力に依存した戦いになるのは必然で、工夫とかもあるけど基本は何食ったかという話になる。多分一番それっぽい描写のあった3D2Yも、各々努力しましたよー、っていう雰囲気は見せてくれたけど実際に努力したシーンをつぶさに描いたわけじゃない。

 で、なんでこうなるかと言うと、そもそもジャンプ読者は努力を嫌うから。これは幾らでも言われてることだけど、結局厳然たる答えとしてずっとある。なぜこれが嫌われるかと言うと、結局は努力エピソードはかったるくなるから。ずっと敵と戦い続ける方がそりゃ派手だし進みは早い。

 ブリーチのフルブリング編が死ぬほど不評だったのも、結局は力を取り戻す努力エピソードだったから(そもそもあのエピソード自体面白くなかったのもあるとは思うが)。ただナルトなんかは割と努力エピソードを上手く描いてた気がする。これは後述。

 ここでもう1つ言えば、努力をするには理由がある。それは基本的に敗北や喪失。3D2Yはそもそもはクマ1人に壊滅させられたから起きたことであり、フルブリングを手に入れようとしたのは巨大すぎる力を手に入れた反動で失った能力に変わる力を取り戻そうとしたため。

 で、最大の問題は、ジャンプ読者は敗北すらも嫌うこと。

 ハイキューが県大会で負けた時の失速ぶりや、それこそフルブリング編なんかを見れば一目瞭然。基本的にメインキャラは勝ち続けなければならない。

 しかし勝たせるために同じ展開が続けばマンネリ化し、これまた人気を失う。ジャンプ読者は誠に勝手だ。変化のためには努力が必要なのに、それも嫌うからキャラが成長する時間がない。

 ここで使われるのが、サイヤ人方式。要は戦うほどに強くなる。戦いの中で覚醒させて行くことで、努力シーンを省きキャラの成長を見せるやり方。本当によく出来てるしジャンプにアジャストしてると思う。ドラゴンボールは凄いんだなぁ。

 ただこれやると今は「主人公補正」と言われてしまう。「いやその展開無理あるっしょwww」みたいな見方をする人は多い。でも無理がありすぎるのは別だけど、そもそも主人公として選ばれる人物に補正がかからない訳ないのだから、少しは大目に見るのが本当だとは思う。二重否定文というやつだ。合ってるかは知らない。

 ただここで素晴らしい努力エピソードの描き方がある。それが「主要キャラが努力をしているのと同じ時間軸で起きている別のエピソードを挿入する」やり方。基本は別エピソードがメインになり、挿入されるのが努力シーンになる。そしてその別エピソードは戦闘や試合である。これならばかったるくならならないし、努力シーンをそこそこ描ける。これはナルトなんかでよく見た気がする。まあナルトだけじゃなく、古今東西いろんな漫画がやってる手法だけど、何だかんだ1番上手いやり方だと思う。

 エピソードの濃さは説得力の高さに直結する。努力シーンはそれを得るために必要不可欠だから、実は結構重要なのだ。

 

 だらだらジャンプ読者はもうちょい努力を見てやってという話を書いた。で、これのどこがアクタージュにかかるかというと、最初に言った「友情努力勝利」の濃さになる。

 実はアクタージュ、この3つの描き方が抜群に上手いと思う。

 デスアイランドで言えば、景と千世子って最初はちょっとした敵対関係みたいになっていた。

 でも景は千世子の演技の不気味さの上にその凄味を感じ、そこから新しい演技のメソッドを得ようと努力した。それに呼応するように、サブキャラクター達もそれぞれが奮起していく。景が本気なのを見ると、周りの目も変わり、距離が縮まって友達になった。最後には、千世子も景に動かされ、彼女達は親友とも言える間柄になった。

 本当に隙がないと思うのはやはり努力シーン。景の努力の熱はこちらに十二分に伝わる程描いているのにたるまない。これは「小さな勝利」を努力のすぐ後に配置しているから。むしろ小さな勝利が努力の先にあると言うのか。例えば嘔吐する一瞬カメラから外れる時は、それを実際にやった後にその説明が入る。そんなんアリ!?と言ってみても実際成功させてしまった後だから何も言えない。

 これはデスノートのあの有名なシーンで使われた方式に似てる。

f:id:mangacomicda:20181106043735p:image↑これ

 

 つまりは成功させた後にどんな荒唐無稽な事言っても成功してるもんはしてんだよ!という持っていき方。計画通りの何が凄いって、月が記憶失ってる部分のエピソードを全部このシーンのフリに使ってる事だと思ってる。あんだけの時間を使って見せられたもの全部が、月の掌の上だったと知った時の衝撃は半端じゃない。事実、実際文字に起こして見るとこの計画、相当無理があるように感じる。しかしそれまでのフリが全部説得力に変わり、読者を押し伏せるのだ。これは先述した努力シーンの持つ説得力とおんなじ事だ。

 

 さて、アクタージュの話に戻る。デスアイランドの1番凄いところは、勝利がそのまま友情に繋がるところ。要は「大きな勝利」が千世子との和解になっている構成だ。

 千世子がとっても魅力的なキャラクターである分、そのカタルシスは相当なものになる。千世子の魅力は読んで感じて欲しいのでここでは描かない。

 アクタージュはジャンプ漫画としては稀有な「友情努力勝利」の描き方が優れている漫画だと思う。読者を飽きさせない工夫があり、どのキャラも魅力がある。

 結局ジャンプ漫画が好きな僕は、三大要素の濃いぃ漫画は大好きだ。

 アクタージュは最初、題材からしてジャンプ漫画らしくないと言われていたし、僕も思っていた。でもこんなにジャンプらしい漫画は他に無い。作者先生の努力も紙面から伝わってくるのもめっちゃ良い。

 この先も続いていって欲しいと願っているし、そうしてジャンプ自体がどんどん面白くなっていけば最高だろう。

 

 深夜の少しラリった時間の記事なので、言いたいことをシンプルに言えず複雑になってしまった。

 要は

アクタージュ最高!

 次回!五万文字!千世子の魅力!ぜってえ見てくれよな!